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福山雅治 そして父になる 鑑賞前夜考 [シネマ]



家族とは、絆とは、愛とは・・・何か。

「とりちがえ」

観る者に突きつけられる重いテーマである。

6年間育ててきた子が我が子ではない・・・・。

そう宣告された時の人間の頭の中、こころの中、肉体の中は、一体どうなるのだろうか。

私は、人の親の末席にいるものとして、このテーマを耳にしただけで半狂乱になりそうだ。

神は何を目的に、そのような試練を二つの家庭に与えるのだろうか。


父親.jpg


資料1・・・野々宮良多 資料2・・・野々宮みどり と 
資料3・・・野宮慶多 は生物学的親子ではないと鑑定する・・・・。
6年間、育ててきた子供は、他人の子供でした・・・・。




劇中での、この乾いた言葉。何よりも何よりも重たい真実。

何度も何度も「本当に我が子ではないのであろうか」と反芻する親。

我が子ではないとわかった時から、まらば、我が子は誰か?・・・我が子はどこに?・・・

という思考に至るものだろうか?

それとも現実に打ちひしがれて、真実を避けようとするのだろうか。

この題材、これまで映画のモチーフとならなかったことが不思議な気がするくらい、

過去、このとり違えはよく報道されていた。

以降、当事者に配慮してきたのかもしれない。

ただ、今回踏み切られたこの映画の制作は、この現代、様々な家族のあり様が存在し、

様々な愛の形が存在している中で、冒頭の三つの投げかけが深い意味をもってくる

時代の要請なのかもしれない。

昨日まで無意識な手放しの「愛」が変質していく自分。変えたくない自分。

その諍い。

とり違えたことの不幸よりも、取り違えなかったことの奇跡・・・を私は考えてしまう。

これが私の鑑賞前夜の気持ちです。

キスの日 ニューシネマパラダイス 涙 [シネマ]


1946(昭和21)年、日本の映画に初めてキスシーンが登場しました。

佐々木康監督の「はたちの青春」です。5月23日、この日が映画の封切られた日です。

唇と唇とがほんのわずかに合わさっただけのシーンでしたが、

映画館は連日満員だったといいます。

はたち.jpg

私は、「キスの日」があることを知りませんでした。

そして今日が「キスの日」だと聞いて、そして、

映画のキスシーンがその背景にあることを知って、

あることを思い出しました。

ある映画のラストシーンです。その映画のラストは、あまたの映画のキスシーンだけを

集めた映像が、次から次に流されるものでした。

キス、キス、キスの連続です。その映画の登場人物である映画技師がつくり、

その人の形見となったフィルムでした。



幼き頃の自分を可愛がってくれた小さな町の映画館の映写技師の訃報に触れ、

数十年ぶりに帰郷した主人公がそのフィルムを見つけます。

そしてそのフィルムを一人ぼっちの映画館で流しながら、思い出と共に、回想と共に、

悲しみと共に、ポロポロと涙を流す のです。もうお分かりになりますね。

そうです。 「ニューシネマパラダイス」です。

シネマ.jpg

度肝を抜かれました。涙があふれて止まりませんでした。

トトが幼き頃のアルフレッドとの日々を思い出しながら、ポロポロと涙を流すのです。


私だけでなく隣の観客もまたその隣の観客も、

   スクリーンを見つめながらみんなが泣いていました。

みんな自分なりの何かを回想しながら泣いていたのではないでしょうか。

観客を物語の中に引きこんでしまう映画の力というものを私に教えてくれた作品です。


今日、そんなことを思い出しながら、「キス」というものは、これまでのはかない自分の

人生を、美しき思い出として胸によみがえらせてくれる、不思議な力をもったもの・・・・

なーんて思えて来ちゃいました。

「キス」にはなんだか魔法の力があるのでしょうか。


えーっと、最後にしたのはいつだっけ?





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